家康が江戸に来たのは左遷だった
「徳川家康がもしこの世に存在しなかったら」と考えたことがありますか?
家康は言わずと知れた江戸幕府の開祖です。江戸(東京)に本拠地を構え、260年間の長期にわたる江戸時代の礎を築きました。
彼の江戸行きは実は本意ではありませんでした。大阪に拠点を置く主君の豊臣秀吉から命令され、しぶしぶ応じたのです。秀吉は家康の天下統一の野心をかぎ取り、「江戸に行けばよろしかろう」と、先手を打つ形で左遷同然に飛ばしました。家康49歳の時です。その時の家康の選択肢は2つ。1つは命に従うこと。もう1つは戦を起こして秀吉を倒すことです。家康の家臣は「兵を挙げましょう」と後者を進言しました。しかし、家康は「今はすみやかに江戸に移った方が疑われずに済む」と決意し、命令からわずか21日後に江戸に発ちました。
逆転の発想
当時の江戸は未開の地でした。足を踏み入れた家康の目の前に広がったのは広大な湿地帯。湾に面し、海抜ゼロ㍍の地域が広かったためです。見渡す限りのぬかるみで、しかも井戸水も出ません。耕作不適地で農作物の生産も望めませんでした。生活もできそうになく、家臣たちはすっかり意気消沈してしまいました。そんな中、家康はただ1人、意欲に満ちた表情で「面白い」と言い放ったそうです。「自由に国が造れる」と。京都や大阪は既に整備され、都市としては完成されていました。その点、江戸は手つかずで、手の入れ放題です。「江戸を上方に勝る街、いや日の本一の都市にしてみせよう」。家康の頭の中には、白地のキャンバスに好きな色で思い通りに筆を走らせるように、無限の可能性を秘めた都市設計のデザインが思い描かれていたのでしょう。
その頃の日本人の平均寿命は50歳と言われ、家康も晩年に差し掛かっていました。定年間際に上司から左遷を命じられ、私たちならへこたれ、「俺の人生も潮時か」と与えられた境遇に甘んじて余生を過ごしても不思議はありません。ところが、家康は逆境をものともせず、持ち前のバイタリティーを発揮し、江戸の都市整備という一大事業に突き進んだのです。
満を持して天下統一へ
さて、ここで問題です。
「当時の江戸の人口は何人だったでしょう?」
私はこのエピソードを持ち出す時、決まってこの質問をします。「10万人?」「50万人?」。いえいえ。正解は何と、たったの400人です。
家康は大掛かりな土木工事に着手しました。山を切り出して土を採取し、ぬかるみを埋め立て、陸地を広げていきました。お金を造り、商人を呼び込み、産業基盤を整えました。家康の都市設計の面的なキーワードは「の」の字です。江戸城を円心とし、そこから渦巻状に整備圏を拡大するプランでした。
家康は江戸整備を通じ、地力を蓄えていきました。そして左遷命令から十数年後、満を持して関ヶ原の戦いに臨み、勝利を収めます。62歳で征夷大将軍となり、江戸幕府を開きました。とても遅咲きの将軍です。
江戸の整備はその後も進み、3代将軍家光の時には人口は100万人になっていました。同年代のパリは70万人でしたから、江戸は既に世界屈折りの都市に発展していたのです。
江戸は「清潔な街」として名高かったそうです。街頭にゴミが見当たらず、水路もきれいでした。パリは住民が建物の2階の窓から外に向けて用を足す習慣があり、街頭に汚物が散乱していたそうです。西洋で日傘と靴のハイヒールが女性のファッションとして育ったのは、上から降ってきて道に散乱する汚物対策が理由だったことはあまり知られていません。パリの女性にとって必需品だったようで、清潔好きの日本人からすれば信じられない話です。
「Deep Branding Japan」に通じる発想
家康は秀吉から左遷を命じられても屈せずに前進し、成功を収めました。ピンチをチャンスに変えたのです。その姿勢は私がライフワークとして進める「Deep Branding Japan」の取り組みに通じます。「Deep Branding Japan」は世のあるゆる「人・モノ・事象」をブランディングし、もう1段ステージアップさせ、それぞれの感情や存在感を爆発的に高める「スパーク」の境地に導くことです。「Deep Branding Japan」の世界観では、苦難や逆境は「スパーク」するための糧です。家康も苦境をバネにして高みに昇り詰めました。私も数年前、脳出血で半身不随になる人生最大の苦難に直面しましたが、それを乗り越え、新しい境地を切り開いています。
現在、東京の人口は1400万人になりました。世界に誇る政治、経済、文化の一大拠点です。「東京にいれば世界中の食が楽しめる」という称号も手にしました。私たち、東京に住む現代人は余りあるアーバンライフの恩恵を受けています。
冒頭の問い掛けに戻ります。
「家康がこの世に存在しなかったら?」
以下の質問も追加しましょう。
「家康が秀吉から左遷を命じられなかったら?」「家康が逆境にめげていたら?」
答えはお分かりですね。世界屈指の大都市・東京は家康を巡る幾つもの奇跡が折り重なって成り立ったのです。
この記事を書いた人
Deep Branding Japan編集長
オキタ・リュウイチ
Deep Branding Japan編集長
オキタ・リュウイチ
早稲田大学人間科学科中退。元真言宗・僧侶。日本の伝統文化・伝統宗教への深い知見を基に、行動経済学に類した独自の経済心理学を研究しマーケティング・ブランディングに応用。その手法を社会課題解決分野に用いて、若者の善行を促す手帳として大流行した「ヘブンズパスポート(15万部のヒット)」や、自殺を踏みとどまらせるWEBメディア「生きテク」などを開発。これらの活動が注目・評価され、2008年に日本青年会議所が主催する青年版国民栄誉賞“人間力大賞”で厚生労働大臣奨励賞を受賞。近年では、廃業寸前の老舗米問屋の売上をその伝統と歴史に注目して6年間で70倍に業績回復させるなど、事業再生・ブランド再生分野においても活躍。プロデュース実績は各種メディアで特集され、著書『生きテク』(PHP 研究所)などに紹介されている。