• 公開:2022/05/18
  • 更新:2023/12/20

【中編】「能面は縄文時代から?」
能を紐解くと日本の歴史が
見えてくる【一流能楽師に聞く】

能楽師で重要無形文化財総合指定保持者の梅若長左衛門さんと梅若紀彰さんに、能舞台をお借りして、DeepBranding編集長のオキタさんと対談して頂きました。

敷居が高くてなかなか聞けない「能の魅力と世界観」を引き出していきます。700年の歴史を持つ、能の奥深さ探っていきましょう。

中編の今回は、面(おもて)や装束について伺っていきます。その後、能が最も発展した豊臣秀吉の時代の話にも続いていきます。

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オキタさん

能面のことを「面(おもて)」と言うのはなんでなのでしょうか?

長左衛門さん

他の芸能だと「面(めん)」と言いますよね。

紀彰さん

面(めん)ではないから、じゃないでしょうか。

普通、面(めん)の場合はキャラクターのお面でも「被る」って言いますよね。

でも、能の「面(おもて)」の場合には顎を出して着けている。自分の顔の表面という意味で、面(おもて)ですよね。

被ってしまうと、「面(おもて)」と自分が分かれてしまう。一部自分を出すことによって、続きになるんですよね。

長左衛門さん

顔と一体になるという考え方なので、だから面(おもて)と言っているんでしょうね。

オキタさん

なるほど。

面は中国から舞楽が入ってきたときに発達したけれど、日本では実は、それ以前から面は呪術的に使われていたそうですね。

長左衛門さん

面の日本における成立は、ちょうど聖徳太子の時代に舞楽・雅楽とともに中国から入ってきたとされています。

しかし調べてみると、縄文時代には既に土面(どめん)があったんです。しかも、耳のところに穴が開いていまして、顔につけたことは間違いない。弥生時代にもいくつか耳穴のある面が出土しています。

縄文時代の「ビーナス」という有名な土偶は、頭の上に面を着けている。恐らく巫女さんのような呪術的な役割をしていたんだと思います。

日本にはかなり昔から面の文化があったけれども、それが呪術的という以上にどんな使われ方をしてきたか興味深いと思います。

500年のころに中国から伝わってきた仮面は顔全体に被る仮面。でも日本に古くからあったのは能楽と同じ、「顔にかける仮面」なんです。

オキタさん

梅若家には300の能面があるそうですね。

長左衛門さん

白い翁の面は尊い神様、黒い翁の面は地元の神様、という使い分けがあります。

そのほかに、同じおじいさんの面でも、高砂の神様の面や、朝倉という「八島」の前半の老体の義経などに使われる面もあります。

女性の面も、若女というものや、神様が降りてきた女性のもの、年寄りの女性のもの、100歳になった女性の面もあります。

男性だと平家の面、人間ではないものは天狗や伝説の動物なども出てきます。

オキタさん

能面の話だけでもいくらでも話せそうです。

装束も独特ですよね。

紀彰さん

めちゃくちゃ豪華な装束を着けますよね。

長左衛門さん

装束がこれほど立派になったのは秀吉の時代からですね。秀吉は能楽師を非常に擁護しましたけれど、いっしょに面を作る人、装束を作る人も大事にします。だから面も装束も秀吉の時代に発展しました。

オキタさん

猿楽を見ていると衣装が簡素ですよね。

能の装束は独特ですよね、鋭角というか。

長左衛門さん

古くは能は「猿楽」「申楽」と言われていました。江戸時代になって「能」「能楽」という表記が見られるようになります。
古い時代の装束はもっと簡素で、着方もルーズなんですよね。秀吉の時代になって、織りの技術も発展していきました。

オキタさん

秀吉さん、こういうの好きそうですよね。

長左衛門さん

よく能と言えば信長、と言いますが、信長は鑑賞しただけで、舞い始めたのは秀吉からなんですね。そこから地方の大名たちも舞うようになっていって、各地に能楽師が行くようになります。

そのころから能楽師に「配当米」といって給料が入るようになりました。それまでは神社で勧進、勧進能として日雇いでやっていた能楽師が、ちゃんとした安定収入を配当米制度でもらうようになったんです。各大名から大坂蔵に米を納めさせて、それは江戸時代まで続きます。

オキタさん

そんな歴史があったんですね。

面や装束だけでなく、能舞台のバックステージも気になりますよね。そういうバックステージツアーができたら面白いなとも思います。

能というのは「極秘のモノ」という感じがあって、それを公開していくことがワクワクにつながるような気がします。例えば、1400年間ずっと神職しか知らなかったものを、この時代だからこそ一般の人が見れる、というのもありますよね。そういうことが出来たら面白いんじゃないかと。

一方で失われていくものもあります。僕たちがもっと関心を持って、「ああこの時代に生まれたからこそ見れるんだ、でも失われてしまうかもしれないんだ」と危機感を共有することが大事だろうなと。

長左衛門さん

バックステージは終演後は入れますし、普段も申し込んでいただければ自由に観られます。演目の前には見てもらえません。

翁舞の演目では、バックステージに神棚を設けています。写真は公開してますが、直接見ることはできません。

神棚に全ての道具を置いて清めて、舞台に出る前には全員で清めのお盃をします。さらにお塩とお米を含んで、切り石をかけて舞台に出てくる。こういうところは秘するところで、やっていること自体は隠しませんが、立ち入ってもらうことはできません。

終わった後であれば見てもらえます。悪いことをしているわけではないので、時間を分けてもらえればと。

オキタさん

そういうツアーも企画していきたいですね。

紀彰さん

最近でも何回か、横浜の楽堂でバックステージツアーをしました。普通にお見せしています。

オキタさん

「これは神事としてやっているから、神様が降りてきているんだ、だから観られないんだよ」と分かると「それは知らなかった!」と、ウケると思うんですよね。

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700年を誇る能の歴史。面や装束を掘っていくと、日本の歴史に深く繋がっていました。

なぜ今の形の能が残っているのか、まだまだいくらでも深堀りできてしまいそうです。

対談は後編に続きます。能を生み出した観阿弥・世阿弥のブランディングが、いかに優れていたか。そして今、能は海外にどう受け入れられているのか。さらに、実は最先端と言われる理由が明らかになります。是非、続けてご覧ください。

この記事を書いた人

オキタ・リュウイチ

DEEP Branding japan 編集長

オキタ・リュウイチ

DEEP Branding japan 編集長

オキタ・リュウイチ

早稲田大学人間科学科中退。行動経済学に類した独自の経済心理学を研究し、日本で初めてマーケティングに応用。過 去 にプロデュースしたプロ ジェクトの 数 々は、大 前 研 一氏の「ビジネスブレイクスルー」、「ワールドビジネスサテライト」はじめ、「めざまし T V」「金スマ」など、各種メディアで特集されている。主著『5 秒で語ると夢は叶う』サンマーク出版、『生きテク』PHP 研究所 など。